明治の江戸っ子(続きの9)
明治の名工達
実を云うと名工達の話はこの「東京雑感」には書いていない。ところが孫婿は東京市が大正天皇の御即位を祝って製作した東京名勝図衝立にいたくご執心でその中央を占める大東京市図を描いた私を誇りに思ってくれている。この衝立は横2.85メートル、縦2.16メートルと云う大きな物で、桐柾目地の中央に東京市の地図が占めていることは述べたが、その周囲には神田区や麻布区など当時の十五の区の名所を、日本橋区なら魚市場、芝区なら芝の浜などそれぞれの名所を当時の名工達が彫金、布目象嵌、螺鈿などそれぞれの技法を駆使して作り上げた扇面が散らされている。これが平成の御世でも宮内庁に収蔵されているというから名誉の限りだ。
ところでこの名工達、それぞれが腕を競ったといっても別々の所で作り上げた物を持ち寄ってひとつの屏風に仕上げたわけだからそれぞれが直接関わりあったわけでもないのだが、私としてみれば全く付き合いの無かった人については話のし様もないが、程度の差はあってもそれなりの付き合いのあった人については思い出すままにご紹介しておこう、明治期の各地の名所はこんなものだったと知っていただくと共に、この時代にこんな高度な技術を駆使できる職人が数多くいたことがお分かりいただければそれでいい。
先ず日本橋区だがここの名所はなんと云っても魚河岸、これを彫金で描いているのが香川勝広、この男は堅実な片切彫を基調としながらも柔らかみや渋さといった様々な味わいの幅広い彫技を兼ね備えている。明治工芸の特色のひとつに宮内省型とも称される高価な材料を使って熟達した彫技の格式ばった独特な作風があるが勝広の作品はこの典型を示していると云っていい。そんな事で日本橋の話をしていると突然孫娘が話しに飛び込んできた、魚河岸といえば築地に決まっているのに日本橋とは何だと云う。実を云うと本来日本橋にあった魚河岸が築地に移ったのは関東大震災後の改革だったのだよ。噛んで含めるような私の説明に孫娘も納得したのだが更なる質問は落語の芝浜では芝の浜に魚市場があるように演じられているけれどそれはどう云うことなのだと案外的を得た質問が続く。落語の芝浜では芝に魚市場があったように語られているけれど本当に芝に魚市場があったのだろうか、そんなことを引き続いて聞いてくるなんざあ我が孫ながら頼もしい。この芝の魚市場は雑魚場といって鰯や鯖などの青魚を中心に商われていた魚市場で、対象となる魚屋とは市中の民家などを廻る男だったのだろう。こんなところにもこの話は実によく出来ている。さすがに円朝の作だ、話の土台がしっかりしているから磨けば磨くほどいい話になってゆくんだろう。 …続く
実を云うと名工達の話はこの「東京雑感」には書いていない。ところが孫婿は東京市が大正天皇の御即位を祝って製作した東京名勝図衝立にいたくご執心でその中央を占める大東京市図を描いた私を誇りに思ってくれている。この衝立は横2.85メートル、縦2.16メートルと云う大きな物で、桐柾目地の中央に東京市の地図が占めていることは述べたが、その周囲には神田区や麻布区など当時の十五の区の名所を、日本橋区なら魚市場、芝区なら芝の浜などそれぞれの名所を当時の名工達が彫金、布目象嵌、螺鈿などそれぞれの技法を駆使して作り上げた扇面が散らされている。これが平成の御世でも宮内庁に収蔵されているというから名誉の限りだ。
ところでこの名工達、それぞれが腕を競ったといっても別々の所で作り上げた物を持ち寄ってひとつの屏風に仕上げたわけだからそれぞれが直接関わりあったわけでもないのだが、私としてみれば全く付き合いの無かった人については話のし様もないが、程度の差はあってもそれなりの付き合いのあった人については思い出すままにご紹介しておこう、明治期の各地の名所はこんなものだったと知っていただくと共に、この時代にこんな高度な技術を駆使できる職人が数多くいたことがお分かりいただければそれでいい。
先ず日本橋区だがここの名所はなんと云っても魚河岸、これを彫金で描いているのが香川勝広、この男は堅実な片切彫を基調としながらも柔らかみや渋さといった様々な味わいの幅広い彫技を兼ね備えている。明治工芸の特色のひとつに宮内省型とも称される高価な材料を使って熟達した彫技の格式ばった独特な作風があるが勝広の作品はこの典型を示していると云っていい。そんな事で日本橋の話をしていると突然孫娘が話しに飛び込んできた、魚河岸といえば築地に決まっているのに日本橋とは何だと云う。実を云うと本来日本橋にあった魚河岸が築地に移ったのは関東大震災後の改革だったのだよ。噛んで含めるような私の説明に孫娘も納得したのだが更なる質問は落語の芝浜では芝の浜に魚市場があるように演じられているけれどそれはどう云うことなのだと案外的を得た質問が続く。落語の芝浜では芝に魚市場があったように語られているけれど本当に芝に魚市場があったのだろうか、そんなことを引き続いて聞いてくるなんざあ我が孫ながら頼もしい。この芝の魚市場は雑魚場といって鰯や鯖などの青魚を中心に商われていた魚市場で、対象となる魚屋とは市中の民家などを廻る男だったのだろう。こんなところにもこの話は実によく出来ている。さすがに円朝の作だ、話の土台がしっかりしているから磨けば磨くほどいい話になってゆくんだろう。 …続く
