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広島経済大学教授

2004年 広島経済大学メディアビジネス学科、教授に就任しました。

担当科目はデジタルメディア演習、デジタルメディア表現、デジタルメディア制作演習、卒業制作・演習、ビジネス口頭表現、など、「日本マスコミュニケーション学会」「日本コミュニケーション学会」「日本イベント学会」の会員です。
 

NHKアナウンサー

1967年(昭和42年)NHK(日本放送協会)にアナウンサーとして入局しました。

(実は記者になることを志望していましたが、何故か音声テストを受けることになり、またいわゆる「役員面接」で『君はアナウンサーのほうが良い』といわれきまったのです。

いわゆる同期生は私を含め16人、全員男性です。 初任地は故郷の隣の県で高松放送局、そのあとは、佐世保放送局です。 スポーツアナウンサーを目指していました。

3局目で故郷の徳島放送局に異動しました。 あとは東京センターのアナウンス室、北九州放送局、大阪放送局、福岡放送局、再び東京アナウンス室です。

その後報道担当アナウンサーから、富山放送局に局長として異動し、二年後東京に、元のラジオテレビの報道担当アナウンサーとして戻りました。 2003年10月末日、NHKアナウンサーを退職しました。  

エッセイスト

社団法人「日本ペンクラブ」会員 しばらく充電中でした。今新たに文章を書き始めています。

徳島新聞「かげやまたけとの阿波かるた」は2000年~20001年毎週金曜日掲載され連載終了しました。 エッセイではありませんが、 「あすを語ろう(放送記録)」「あすを語ろう、資料編(放送記録)」は 私の大切な記録です。

講座テキストの一部を担当しました。「意見を述べる~理由を明確に~」 「ことばは時代を映す」「敬語、尊敬語をつかう」 新版アクセント辞典には部内編集委員として参加しました。
 

地域活性化仕事人

(地域活動とのかかわりについて) NHK北九州では1985年から三年間、長期シリーズ番組「あすを語ろう」を企画、キャスターとして放送し、地域に大きなインパクトを与えました。

アメリカのピッツバーグ市(アメリカの都市再生のモデル=「全米一住み良い街」)を一ヶ月に渡り取材し放送し、また、室蘭・尼崎・北九州を通信衛星で結んだ長時間多元公開討論番組で企画・コーディネイト・司会を担当するなど、数々の番組で地域に貢献しました。

その後「産業構造の転換と都市再生」「産業振興」「まちづくり」「地域活性化」などをテーマにして講演・司会・コーディネイトなどを続けています。

現在講演は年間4~6回程度です。
 

誕生から今日まで

1943年(昭和18年)10月22日東京の荏原区(現品川区)で生まれました。

おそらくその後すぐに、と思いますが、山梨県大月市に疎開しました。 父は当時中国の上海に単身赴任中でした。 戦後まもなく父の故郷徳島に行き(帰って?)18歳まで徳島市で暮らしました。

記憶にあるのは徳島のことからです。 幼稚園、小学校、中学校、高等学校と、ずっとそこで育ったので私の故郷は徳島です。
 

交流の輪

交流の輪として「さんぽ道」と言うコーナーを設置しました。

さんぽ道はこちら